2017年01月03日

お年始

あけましておめでとうございます。

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友人がツイッターで農林水産省お雑煮MAPをリツイートしていたので思わず仔細に見てました。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1101/spe2_01.html


我が家は丸餅を煮て、すまし汁で具材はかまぼことほうれん草とノリが浮いてるくらいでです。

これは父方の雑煮のようです。

私の父は鳥取の米子、母は和歌山の新宮出身です。

結婚したばかりのときお雑煮で温厚な父が怒ったという話を思い出してました。

母の実家は熊野速玉神社のすぐ隣りにあってこの一体は丸もしくは四角のもちで焼いたそうです。

本当は丸餅がいいんだけど丸にするのは面倒なのでついたあとのもちは棒状にしていたみたいだと言ってます。

で父に焼いたもちを雑煮にしたら焼いたものはおやつなのに・・・と不機嫌になったというわけです。


雑煮制度は室町時代1336 1573年)に始まった説が有力みたい。

水稲文化は弥生時代に始まって九州から東進していきます。

もともとお餅を食す文化はそれほど古くはないはずだよなーと思っていたらこのマップの下に北海道と沖縄にはお雑煮がないとありました。


縄文人の骨からDNAが取り出され、北海道のアイヌと沖縄が圧倒的に縄文人の血を濃く受け継いでいるのとが証明されています。

アイヌではコメを外来の食べ物としていたので北海道では雑煮が浸透しなかったのでしょうか。
文化の底力ってあるなー。


おせち料理も食べ尽くして今日から我が家は普通の食事に戻ります。


お正月にはお正月の神様は歳神様という方が活躍されます。

この時期皆の家に滞在されるそうです。

まだ3日ですから今もちゃんとおられますよ。


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posted by シゲリ at 15:43| 中国語 雑談

2016年12月31日

能力の正体

大晦日であるというのに関係ない話いきます!

前回の続きめいたこと書きます。
教師をしているとどうしても生得能力、ここではIQとか知能指数と言われるものが圧倒的に学習に影響するなあと実感する人が多いと思います。
いくら綺麗事言おうが究極はやっぱり・・・という感じですね。

ゆとり教育のときの三浦朱門氏や利根川進氏の本音と同じです。
後天的な努力は2番手で、結局は生まれ持っての知能が1番支配するようだということ
前回書いた発達障害があって異能の持ち主の人たちも正にそれが生得のものだから自分の特殊ぶりに気づくのは思春期をすぎる頃みたいです。
本人達は生まれつきだから皆も同じだと思いこんでいて、周りからびっくりされてようやく自覚しています。
それくらいこの能力は100パーセント天然もの。

一般常識でも努力家ももとの才能があるから花咲くのだと思われてるのではないでしょうか。
私自身は上記のことは確かに現象としてはそうだなと思えるんですが、こんなステレオタイプの共通認識っていうのは大体において胡散臭い。
私のアンテナがなんか変だぞーと伝えてきます。

今年のはじめ重度自閉症の青年である東田直樹という方がテレビで紹介されていました。
この方の書かれた本もあるからご存知の方もいらっしゃると思います。
あまりに重度で他人との意思疎通は全く無理、IQも測定不能、おそらく知能も感情も機能していないと診断されていたのですが、PC入力で彼は自分の言葉を書き始めます。

自閉症の子を持つ親や医療者たちのどうして自閉症患者はぴょんぴょん飛び続けるのか、
どうして些細な事に執着するのか、どうして奇声をだすのかという切実な疑問に彼はPCを通じて解説していきます。
その彼の書いた内容があまりにも理路整然としていて皆が魂消ることになります。
私ですら、この人相当思索を重ねてきている人だなとわかりました。
本当に抽象的な感情を扱う時でも答えの文章が明確、わかりやすい、説得力あるんですよ。
重度患者からの初めての回答ですから世界的ベストセラーになったのも頷けます。

その中で彼は自分という魂はポンコツの箱(肉体)に入ってしまったので、このコントロールの効かない箱をどうにかして使うしかないのだみたいなことを言っています。
なんとなく哲学っぽいでしょ?
デカルトの2元論、魂と肉体は別個のものというのを思い出します。

ものすご〜く低スペックなパソコンに高度なゲームをさせるとどんな動きをするかを想像してみてください。
ごくまれにぴょこっと動いたり、全く動かなくなったり使い物にならない。これに似てる?

箱としての肉体が影響している場合、生まれ持っての知性が影響している場合、後天的なことが影響している場合・・・これらの相関関係は実はあまりわかっていません。
人の能力を図る能力はまだ人にはないってことでしょうか

私が書いた異能というものは西洋では神様のプレゼントという認識があるそうです。
奥村氏も医者が神様のプレゼントといったと書かれてありました。
これが本当に神様のプレゼントなのか私にはよくわかりません。
そんなすごいことなのかどうかも私には判断がつかないんです。

平田篤胤という江戸の超有名な国学者がいます。
彼は17歳までまったく頭脳明晰な人ではなかったのです。
でもある日こけてしまったんですが、それから突然頭が良くなって周りの人も自分自身もびっくりしたんだと本人談で書かれた本を読んだことがあります。
ご存知のように彼は江戸を代表する碩学でしたが、それにしても妙なエピソードだなと当時思ってました。
これじゃあ接触の悪くなった機械をゴンゴンすると良くなる・・・みたいなノリだ。

こんなものは神様のプレゼントではなく、単なる神様のいたずら、暇つぶしみたいなものと思ってもいいくらいです。
いい加減なものだなー、全く。

posted by シゲリ at 17:20| 中国語 雑談

2016年12月29日

記憶なるもの

自分の仕事の関連で人の記憶とか認知等のメカニズムに少し興味があります。
言語をモノにする過程をもう少しわかればもっと合理的に仕事ができのにと思うんですね。

教師はそれぞれの方法でこれが良かれと思って中国語を教えるわけですが、どうも悲惨に結果になることが多いです。
それもあって私の場合だと自由にやらせてもらう時でもなんといいますか被害をあまり多くしないであろうという教え方でやっています。
初級で発音と文法重視でやるのは色々理由はあるのですが、一つにはこれだと学生に壊滅的ダメージを与えることはないということもあります。

中国で私が初めて習った啓蒙老師はなんとか喋れるようになった私によく「留学生は何も勉強していない白紙のままで来てほしい。自国で習ってきた学生の発音はもう治らないから」とぼやいてましたね。

私がやっていることは多分日本で凡人が習うのに負荷がそれほど大きくない不特定多数向けの学習方法だと思います。
私自身が中国語や外国語に興味がなく積極的にがんばろうなどと一度も思ったこともない人間なのでいろんな先生方の教え方をみるにつけ自分が学生だったら御免こうむるなと思うわけです。
教師の口真似ばっかりやってられるかとか、発音も文法もできないのにお互い初心者同士で会話の真似事だとーっ!とか絶対悪態ついてるな。
書き取り小テストとか黒板に書きにいかされる、どうでもいい映画鑑賞とかもいらないなー。
自分が学生だったら嫌だなと思うことはできるだけ避けたい。

学校の教師は知っておいたほうがいいと思うんですよ。「お前たち教師は語学が好きかもしれんが自分たちはそうでもないんだよ」と見られていることを。

私はあんまり無理して脳に負荷与えるのも与えられるのも嫌いで、いつも中国語がわかってきて面白いと感じたら自分でやっていくだろうし、自分はそれまでの案内人みたいなもんだと思ってるんです。
客を迷わすことなく恙無く案内業を務める。これって無責任かな。でも本音です。

それにしても学習法やら教授法やらたくさんあるけど、どれもまあソコソコ感があります。
万人向けって言う物はおそらくないんでしょうね。
なんかもっといい方法ないかなという思いから記憶とか理解とか認知のこと気になってました。

最近は発達障害とかASD(自閉症スペクトラム障害)とかADHD(注意欠如多動性障害)とかいう言葉をよく聞きます。
偶にとてつもない能力を発揮するケースが紹介されたりします。
特に記憶に関する能力の高さっぷりが面白いです。

ネットの現代ビジネスというサイトの中で奥村隆氏の「息子と僕のアスペルガー物語」が以前連載されていました。(さっき見たら途中までしか見れなくなってた。)
これは“記憶とは何か”ということについて考えさせられる記事です。

息子さんを病院に連れて行ったら医者に奥村氏自身もASD(後にASHDも)だと言われたところから話が始まります。
彼はグラフィックメモリーという文字等による視覚から入ってくる情報は完全に記憶できてしまう能力の持ち主です。
学校の勉強もこの能力で楽にこなしていくのですが一つ大きな問題を彼は抱えています。
聴覚からはいる情報は記憶が難しいのです。
好きな歌も校歌も覚えられない、それがひどくなっていき人との会話で他人の話し声とかテレビの音とか雑音が入ると全く相手の話がわからなくなっていきます。
いくら一生懸命耳を傾けても相手の言葉が意味として理解できないのです。
全く記憶に残らない。

グラフィックメモリーの持ち主はこういう特化した能力が他の機能を圧迫するかのような症状を持つ人が多いそうですが、中には聴覚の記憶も併せ持つ人がいて、こういう人は5〜6ヶ国語を平気でマスターしてしまいます。

私はこういう特殊能力を面白がっているわけではありません。
ただこれを読んでおそらく一般の凡人の記憶や理解も多かれ少なかれ、これと同じ要素で成り立っているのではないかと感じたのです。

記憶力全般がもう一つである凡人の私でもおそらく視覚と聴覚記憶の優劣があるはずです。
私の場合はやっぱり視覚的記憶より聴覚的記憶が劣っているようです。
なぜなら私は歌を聴いてもやっぱり歌詞が耳元を素通りして覚えられません。
というか歌詞の意味を気にしたことがないぞ。
だからきっぱりいうけど私の授業は聴覚的記憶が勝っている学生には不向きなはずです。

以前書いた文法を一切教えなかった私の知り合いは両方の能力保持者だったはずで発音も素晴らしかったのですが中国語の方言もいろいろ話せた人です。
でも教え方は・・・彼の塾生たちは「う〜ん、先生の人柄のファンですから♡」とか言ってたから語るべきものはないな、多分。

万人向けの教え方も教授法もあるわけ無いです。
人はみな得意不得意がバラバラですから。
教授法をやらないと・・・とかこだわる必要もないことです。

実際の学生たちはどうか。
文法理解は視覚的記憶の影響が大きいと思うのですが、これは例えば私の秋学期にトレードされてきた学生を見るとわかります。
彼らは文法を詳しく習ってきてないので、私の授業で苦労するのですが2ヶ月足らずで全員がほぼ挽回します。
しかしディクテーションやらQ&Aなんかの聴解能力に関しては挽回が文法ほど簡単ではありません。
半分くらいの学生は挽回できず最後まで苦しみます。

これは日本の土壌といいますか英語教育で音声無視の教育を受ける環境のせいもあるのですが、少なくとも日本の学生にとって視覚的記憶の方が聴覚的記憶より負荷が少ないという証左になっていると思われます。(アフリカだったら違うかも)

教師は視覚と聴覚記憶の兼ね合いをもうちょっと合理的に考慮しないとまずいよなーと思う今日このごろ。

私の三味線の師匠は音が色として見える人で、学校の勉強もこの色でなんとかやってきたのだとおっしゃってました。
どんなふうにそれが影響してるのか私には想像ができませんけど。
そういえば文字が覚えられないディスレクシアもありますね。
ここまでひどくなくても文字認識が弱い人もたくさんいるに違いないです。

とまあ今日は私の個人体験学習法ゴミ説の理由をグダグダ書いてみました。
あなたの個人体験学習法で上記の事柄をどれくらいカバーできるのでしょうか。

posted by シゲリ at 09:32| 中国語 中国語

2016年12月24日

本当は”低く望み”

もうじき秋学期が終わります。
結局後半の教材をアップすることがなかったです。
初級中国語といっても週2回位の授業だと実際のところ程度補語くらい教えて終わりという学校が多くなってます。
だから参考にもならないだろうと思って放り出してしまいました。
まああと圧倒的に増える長文がパクリなので編集メンドーだったりしたのです。

結局今年も週2回私の自由にさせてもらったクラスが色々あって1番面白かったです。
秋学期から新たに入ってくる学生は例年苦労するのですが
今年はべらぼーによくできる学生が3人いて発音もそこそこだしびっくり。
あとで尋ねたら春学期は発音も文法もほとんど教わっていませんでした。
(この三名はバラバラのクラスでした。)
でこの人達はほぼ独学だったそうです。
このうち2名はたまたまクラスに中国系の学生がいて彼らに教わり、もうひとりは完全に独学ですね。
もう先生はほとんど何も教えてくれないので、その中国系の学生に尋ねまくったそうです。
彼らの話を聞いてなんか教師として返答に困ってモゴモゴしていたら、学生ラウンジなんかにいれば結構な数の学生が一人で中国語の音出して練習してますよといってました。

この3名は3声が全部半3声になる以外はかなり正確な声調を習得していたので全般的な音はスムーズにマスターできました。
あと4名の新参者がいて、彼らも文法の方は完全についてこれたのですが、発音は最後までだめでした。
皆新学期の時点で声調の存在にすら気がついていない調子なのでまずいなと思ってたのです。
これはほぼ学校での矯正は無理なパターン。
声調ができないならあとの発音を覚える意味もないので偶に声調を注意するくらいで終わりました。
彼らが自分の音が他の学生と違うことに気がついて、とても気にしていましたが、文法の方の勉強で精一杯だったのでどうしようもなかったようです。

こういうのは例外なく教師の教え方に共通点があります。
教師の音を鸚鵡返しさせる、朗読を何回もする。学生の発話時に一切間違いを指摘しない。
真面目に取り組む学生には、教師は面倒でもそれは1声、そこは4声と言う言い方で注意すべきです。私も時々やってしまうのですが、教師が正しい声調で言ってしまって、学生がそれを真似るオウム返し法は意味がありません。

鸚鵡返し法でマスターできるのはもともと聴覚の優れた人のみなのです。
日本人の教師は自分が軽くできたからあまり問題視しないようですが、しつこいようですが教師個人の学習体験はゴミと思ったほうが良い。
教師にまでなるくらいなので特殊ケースの確率が高いのです。
学びたい学生は自力で音を作り出すこの面倒な練習でもちゃんと耐えますよ。

この話何回も書いています。
でも何回も書かないといけないと思ってます。
初動で失敗は許されないのです。
もしあなたのクラスに20人の学生がいて一人でも声調ができない学生がいるのなら教師は自分の失敗を疑わないといけない。
実際19人の学生がほぼできるならその学生も皆に引っ張られてよくなっていきますけどね。
正確に言いますと、クラスに4〜5人まずいのがいるのなら教師は現行の指導方法を変えないといけません。
明らかに指導が失敗しているからです。

熱心な学生じゃない場合も・・・という言い逃れも教師の戯言で却下。
以前にも書いたとほほ集団も今年のトホホくんたちも音声練習がきっちりやりますし、音も及第点取れてます。
記憶に関係しない音の識別練習なので聴覚練習もゲーム感覚でやれるので熱心です。
彼らの学習上の弱点は記憶力の弱さにあるのですが文章の意味を聞き取るリスニング練習とは異なり、発音練習は記憶力の有無に抵触せず、おそらく中国語学習において一番楽しい部分になっています。

今年は担当全クラスが初級でした。
自由に授業を組めるクラスには、クラス全員の学生に対して効果が一番マシそうな教え方ってなんなのかと考えて今の授業形態になっています。

これ以外の学校では学校の指示のままやらざるを得ないところもあります。
一応検定4級と発音聞き取りの答案を残してをデーターを取りますが、同程度の偏差値校で、私という同じ人間が教えるのですが、それでも信じられないほどの差が出ます。
私個人の教える範囲でもこれだけの差が出てしまうので、
私はずっとこの業界内でもある程度の教え方の統一見解というかコンセンサスを目指した研究会程度のものがあるべきだと思ってきました。

しかーし鈍感な私もこれは高望みっていうものなんだということくらいはだんだんわかってきました。
そもそも教師自身がだーれもそんなこと欲しがっていなかった・・・ 。
だもんでこのブログを書く意味もまったくないことを悟ったので引き際を考えないといけないなと思ってます。
でももうちょっと書く。

posted by シゲリ at 19:14| 中国語 中国語

2016年12月08日

茶番に舞う

先日お知り合いの同業者の方から講演会と映画上映の会のパンフレットをいただきました。
映画は日本人の作品で南京大虐殺のなんたらというのと大学のドイツ関係の先生がアウシュビッツと南京のなんたらというテーマでお話になるという。
是非参加してくださいと熱心に勧めてくださいました。

自分の仕事柄“興味が無いです”とは言いにくいのですが実際興味が無いです。
南京事件はあった、なかったという議論があるそうですが侵略戦争なんだし生き残った被害者もこれだけたくさんいて“ない”とはいう気は私にはサラサラないです。

被害者の数が問題だという議論もあるそうですが、これに関しては被害者数の調査以前に両国がわざと事件そのものの実態調査をしなかった可能性もあると私は疑っています。

えっとですね、
松井 石根(まつい いわね)という方は有名ではないでしょうから今日ここでご紹介します。
明治11年(1878年)7月27日 - 昭和23年(1948年)12月23日)
「南京事件」の責任を問われて東京裁判で死刑判決(B級戦犯)を受け、処刑された陸軍大将です
ちなみにABC級戦犯は別に罪の等級を言っているわけではないです。
◇A級戦犯…侵略戦争の計画・開始・遂行など「平和に対する罪」を犯した。
(戦争を仕向けた指導者層)
◇B級戦犯…士官対象。捕虜、現地民を殺害・虐待を犯した。
◇C級戦犯…士官以下のもの。捕虜、現地民を殺害・虐待を犯した。

松井氏のことを調べたのはもうだいぶ前のことです。
ものすごい親中国派というノーテンキな次元ではなく中国の文化、歴史に深い造詣と非常なる敬意を持っていた方でした。
で当時の陸軍内で中国寄りの立場を見せるもんだから陸軍内の中国人みたいに揶揄されていたという話もありました。
南京事件を知ったときも寝耳に水で彼の驚きぶりも同僚たちの証言が出ています。
東京裁判の際、流石に連合国側ですら彼をクロにはできんだろうという声があがります。
しかし彼は一切の弁明をせず“事件が起こったからには軍は必ず責任を取らねばならない”と言って死刑判決を受けいれて亡くなるのです。

なんか変なのは当時南京にいた蒋介石は実際を見ているはずなんですが彼は証言をコロンと変えてしまいます。
はじめは“そんなの全くなかったヨン”から“いや〜実はあったんだよね”へ。

松井氏は中国が兄で日本は弟の兄弟だから(もっと格調高い言い方だったけど忘れた)という言動も公然とされていたのに、今の中国のネットニュースには松井は日本が兄で弟の中国を好き勝手にしていいと思った異常者、鬼子と書かれていました。
なんかですね、いたたまれません。
もう色んな所にボロクソに書かれてる。

南京は特異な都市だと思います。
異民族の元朝を倒して漢族系の明朝が南京に首都を立てます。
南京(1368年-1421年)北京(1421年-1644年)

明朝は長期に渡り大繁栄を遂げ、最後には異民族の清朝にやられて最後の砦の旧首都である南京も落ちます。
中国ドラマでもよく描かれていますが旧勢力側はそれはもう清朝に徹頭徹尾やられます。

そしてこれまた大繁栄していた清朝の時代にヨーロッパからの接触が本格化します。
イギリス、フランス等は大帝国清朝弱体化のため南京に目をつけます。
先祖の恨み、異民族支配への不満は南京に具現しているようなもんです。
破壊活動にはうってつけの街だったんです。
まあこれ支配の定石です。

中国人の商人も役人も金欲しさと清朝嫌さにヨーロッパに魂を売ってしまったみたいなかんじになっていきます。
皆さんご存知のように清朝末期の江南の腐敗ぶりは凄まじいですがいや〜こんな裏工作がちゃんとあったんですね。
林則徐(だったと思う)という歴史書にも登場する大物大臣ですが当時の魂売った中国の状況を憂う悲壮な詩を昔読んだことがあります。
想いというものがひしひしと伝わる名作だと思うんだけど有名じゃあないですね。

だからですね、南京は日本軍がノコノコ行く前にはもちろんヨーロッパがいたんですよ。
そこで侵略者の彼らももちろん好き勝手していたわけです。

白人支配者層の方は自分と中国人、どっちが兄でどっちが弟かという発想はない。
そもそも兄弟だとも他人だとも思っていない。
おそらく人とも思っていない。
彼らから見ればアジア人は猿に近い。というか猿。
おおよそ南京あたりがどういう状況だったのか、ここで色々書くまでもないこと。

日本は負けて松井氏は南京事件の首謀者として処刑されました。

中国政府は日本の侵略以前のイギリス等による蹂躙を語りたがらない。
できるだけ日本軍だけが大暴れしたかのように印象づけたい。

日本側はやっぱり陸軍軍人を人身御供として差し出したい。
糊塗したいことたくさんあるしね。

そして数十年後に国連系統のユネスコごときに南京事件資料を世界記憶遺産としてありがたくも登録していただくのですね。
この三つ巴関係の香ばしさがすこしでも伝わりましたか?

こういう文章は書いていて結構疲れます。
ついでにナチのアイシュビッツのこと書こうと思ったんだけど
また元気なときにします。

私の昔のツレの母親がユダヤ系オーストリア人で収容所に4年間いた人だったんですよ。
これも縁かなと思ったんだけど馬力が続きません。

ともあれもうすぐ松井岩根氏の命日で
そして今日は我が父の命日です。

とーちゃん元気でそっちにいるか?

posted by シゲリ at 17:04| 中国語 歴史